「体育会系」の勘違い

新入社員の頃、予定があって上司の飲みの誘いを断ったとき、それを見ていた先輩が僕に「キミはこれを読んだ方がいい」とか言って社会人マナーの本を渡してきて、固まったことがある。


よく部長とランチに行っていたのだが、飲食店でお冷を飲み干した部長が僕にわかるようにグラスをカランカランと揺らして僕に注がせたり、ドアというドアで僕が追いつくのを待って僕に開けさせるなど、徹底的に主従関係を叩き込まれたのだが、「犬じゃねんだから、、」といつも思っていた。


そもそも、いわゆる体育会系っていう概念は昭和と今でだいぶ違うと思う。で、今の方がよっぽど厳しいと思っています。僕は小学校から高校までサッカー部にいたので、その経験をもとに昭和と平成の体育会系のあり方を比較してみる。


昭和の体育会系の人は基本的に、「先輩が絶対」という根強い概念を持っている。これは、後輩はグラウンド整備をして、先輩の荷物をもってとか、1年生のうちはボールに触れないなんて話も聞いたことがある。まじでありえない。


今は違う。1年生でもうまいやつは試合に出て、3年生でも実力がなければポカリを作る。実力が同じ1年生と3年生がいたら、チームの今後のために1年生を使う。グラウンド整備は本来、日々快適に練習をする為だったり、環境に対する礼儀なので1年も3年も関係ない。チームの団結の為にも全員でやる。


僕がいた高校サッカー部では、サッカーをしているときは基本的に「敬語禁止」だった。チームが勝つ為だから、先輩に対しても意見を言うのは当たり前という文化だ。もちろん敬語は使っていなくても、敬意は払っている。だから後輩に何言われてもイラッとしたりしなかった。これは中田英寿が出てきた頃で、日本サッカーが強くなってきた時代的な背景もあるかもしれない。中田は周りにどんな目で見られても、若いうちから上下関係なく意見を正面からぶつけていた。今でいう本田圭佑とかもそうだ。年齢なんて関係ない。


昭和の体育会系では、経験が重視される。というより「何年やってるか」が重要で、時間さえ経ってしまえば偉そうにできたわけだ。多分それが気持ちよくて、会社にも持ち込んでいるように思えた。みんな上司が怖くて意見を言わない。会議で若手に議事録つくらせて、意見を言わせない感じもまさに悪しき風習だと思う。


平成の体育会系の文化は大きな利点があって、それは組織の「底上げ」。どんどん若手が台頭して、上の世代は負けじと頑張る。若手も上を追い抜こうと努力をする。それがぐるぐる回ってチーム全体が活性化する。これは会社でも同じだと思う。そもそも年取らないと大きな仕事しちゃいけないなんておかしな話だ。


っていうお話でした。




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