コカ・コーラとペプシはどっちが美味?目に見えない価値について

みなさんはコカ・コーラとペプシだとどっちが美味しいと思いますか?この話は結構有名だと思いますが、ペプシが行ったアンケート調査の結果、いろいろはしょるけども結論ペプシの方が美味しいらしいです。


でも美味しいのはペプシでも、コカ・コーラのブランド価値評価は常にトップに君臨していて、もちろんペプシより上なわけです。みんな美味しいコーラを飲みたいのは当たり前なのに、美味しくないコカ・コーラの方が好きなんです。このお話に関しては自分の中ですごく大切なことが隠されていると思うのですが、イメージでしか無いので文章にしてみる。


まず、この現象を近い例で見てみる。ちなみに、僕の個人的なバイアスも入っているので悪しからず。


Windowsか、Macか

僕が最初にPCを買ったのは大学生の頃ですが、その頃からMacを使っています。Macにした理由はいろいろありますが、まずクリエイターツールを使うならMac!というイメージがあったのと、単純にクールだと思ったからです。当時はね。

そのほかにも「起動が早い」とか聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、ここで僕が大事だと思うのがそんなことAppleは誇示していないということ。


CMとか広告で、AppleはPCやiPodの性能をくどくど説明したり、Windowsと対比させたりしたのを見たことがない。Rubyが標準で入っているとか、ソフトによってOSを選ぶとかそんなこともせずにブラウザしか見ていない人でもMacを持ちたくなる理由がある。


レッドブル

試験前とか、徹夜仕事とか、クラブ行く前とかみんなレッドブル飲みますよね。僕は飲んでます。でも眠いなら眠眠打破の方がわかりやすかったりする。なのになんでみんなレッドブルを飲むんだろう。だって、レッドブルにどんな成分が入ってるか知ってます?


コンテンツだけの差別化では生まれない価値

そのほかにもカフェとか、プロバイダとか、僕らに色んな選択肢がある中でなぜそれを選ぶのか。多くの場合、各々の細かい仕様を把握しているわけではないのにどちらかに惹かれるというのは人間の感情の部分だと思う。僕はドトールとスタバでどっちのコーヒーが美味しいか全然利きコーヒーできません。でも、イメージは全く異なっています。もちろん不味いコーヒー出しちゃだめだと思うし、どっちが優れているか言ってるわけじゃなくて、カフェが提供している顧客体験やイメージはコーヒーそのものの差で生み出しているわけではないんですね。


その価値は定量的に計りづらい

レッドブルは売り上げの30%をブランディングに費やすそうですが、果たしてそれをせずに30%を丸々残しておいた場合と営業利益総額は具体的に幾ら差があるのでしょうか。また、レッドブルの缶のパッケージデザインは今のデザインであることが幾ら売上に貢献しているのでしょうか。そんなの神のみぞ知る数字です。でもレッドブルがレッドブルである理由をつくっているのは、この30%に他なりません。それをレッドブルCEOのマテシッツさんは信じているはずです。


結論

良いサービスやブランドは、コンテンツの良し悪しだけで決まっているわけじゃない。コンテンツの周りにある言語化が難しい価値を含めた全体像で差を作っているのだと思う。おしゃれだとか、使いやすい!とか、すげぇ!とか、そういう直感的なイメージを意図的に創造することも良いサービスづくりには欠かせないのだと思います。

ただそれをするには、そういったマインドを組織が共有していないと難しい。定量的に評価しづらいからです。特に組織の上層部がそこの価値を重んじていないと難しいと思う。


今のご時世、僕らの周りにはモノやサービスがあふれていて、選択肢であふれています。だからこそ、その中で秀でている何かを生み出す力が必要だと感じています。それは決して良いコンテンツを作れることだけでなく、なぜそれを選ぶのか?という理由を創造する力がこれからの世界ではより重要になってくるのではないでしょうか。


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